『「公共性」論』論(1)
『「公共性」論』をちょっと前に読み終えた。
仕事も暇になってきたので、『「公共性」論』について、書いてみようかと思う今日この頃。
私は稲葉振一郎の本をほぼすべて読んできた。
まず、大学のレポートを書く時に参考文献として『リベラリズムの存在証明』(これは全部は読んでいない)
を読んだ。
次に、『経済学という教養』を読んだがこれはかなりの名著だ。
『ナウシカ読解』はナウシカの漫画版を読んだ後に読んだ。
『「資本」論』は実家の稲刈りの手伝いをしながら読んだ記憶がある。
『モダンのクールダウン』も一応読んだが、これはあまり面白くなかった。
『オタクの遺伝子』は自動車学校の教習の合宿中に読んだ。
『所有と国家のゆくえ』はぱらぱらよんだ。
『マルクスの使いみち』はかなり濃い対談で、ページ数が物足りないくらいだった。
どうでもよい読書遍歴をつらつらと書いてしまったが、『「公共性」論』は今までの稲葉の自著に対するある程度の総括
あるいは回答になっている気がする。
今から用事があるので、詳しい内容についてはまた後日(すぐに書ければいいが、また書く気がなくなったりして)
[経済]なんとなく保守の注釈
以前、http://d.hatena.ne.jp/kaishajin/20070927で「ウォーラステインと森嶋=置塩=マルクスの定理の関係を、勝手に解釈して述べて、意味不明は発表をした記憶がある」と書いたが、それについて若干の解説をする。
といっても、私もそこまで詳しいわけではないので、以下、松尾匡氏のHPより引用する
http://www.mii.kurume-u.ac.jp/~tadasu/yougo_fmt.htmlより
①【マルクスの基本定理の意義】
「正の利潤を発生させるような価格ならどんな価格であったとしても、そのもとで労働が搾取されている」ことをしめした
これを拡張して
②【一般的商品搾取定理】
「バナナ1単位生産するための直接・間接投下バナナ量が1より小さいことも正の利潤の存在と同値なのだから、労働の搾取という言い方が許されるならば、利潤の源泉はバナナが搾取されることなりという言い方もできることになってしまう。労働だけ特権化して搾取呼ばわりする筋合いはない」
ちなみに①と②は労働を特権的に見るかどうかで、対立しているらしい。
それはともかく、①、②いずれの場合でも、「搾取」により、利潤が低下する傾向にあるとすれば、*1資本は利潤を求め「外延」に拡大する傾向がある、ということも厳密にもいえるのでは、と考えた。
*1:http://ja.wikipedia.org/wiki/利潤率の傾向的低下の法則 参照
サブプライムローン
ちょっとしたことから、サブプライムローンが投資信託の配当に及ぼした影響を調べることとなった。
といっても、私も素人同然なので、日経新聞とネットで、ざっと調べたくらいだが。
NIKKEI NET の「投資信託ニュース」には、
「国内で個人が購入できる投資信託の一部に、米国の信用力の低い個人向け住宅融資(サブプライムローン)に裏付けされた証券が組み込まれていたことが分かった。組み入れ比率はわずかで、運用成績への直接の影響はほとんどない」(http://markets.nikkei.co.jp/fund/news.cfm?id=d2c0204t05&date=20071105より)
と書かれている一方で、
「米国の信用力の低い個人向け住宅融資(サブプライムローン)問題に端を発した株安・円高を背景に、国内の投資信託の運用成績が急速に悪化している。投信の時価を示す基準価格が、運用環境が悪化し始めた6月末から8月16日までどのくらい下がったかを調べたところ、海外の不動産投資信託(REIT)で運用する投信の落ち込みが目立った。市況の悪化と円高がダブルパンチで効いた格好だ」(http://markets.nikkei.co.jp/fund/news.cfm?id=d2c1704h18&date=20070818より)
とも書かれている。
上ではサブプライムローンにより「運用成績への直接の影響はほとんどない」と書かれている一方で、下では、「運用成績が急速に悪化している」と書かれているため、一見すると矛盾しているように読める。
矛盾なく解釈するためには、「国内で個人が購入できる投資信託」(上)に「海外の不動産投資信託(REIT)で運用する投信」(下)は含まれないと解釈するしかない。
すなわち、REITは投資信託の特殊な形態であり、サブプライムローンに大きな影響を受けたが、ほかの一般的な投資信託については、サブプライムローン証券の組み入れ比率はわずかであるため、影響はほとんどない、との解釈。この解釈でよいのだろうか…
この解釈の前提として以下のことが必要である。
・証券を中心に運用している投資信託に、REITは組み込まれない
・逆に、REITにも、証券は組み込まれない
この前提は成り立っているのだろうか?
■
・紙で新聞を配らない
資源の無駄だし、費用もかかるし。
みんなたいして読まない。
PDFとかで、供覧すればいい。
・非正規雇用者も組合に勧誘する
雇用が不安定な非正規雇用者こそ組合を必要としてるはずなのに
現状では入れない。たぶん。
労働者の権利とか言ってるくせに、自分達の既得権ばっか気にして、
より組合を必要としているひとを排除しちゃそりゃ反感もかうでしょう。
とか書いてたら、なんとトヨタが期間従業員を組合員にしちゃうみたい。
(http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_a829.html参照)
・組合費を安くする
組合費が高すぎる。つき数百円だったら、かなりの人が入る気がする。
予算の削減を以下のようにすべき。
単年度毎の予算配分をやめる。
組合員同士の交流・親睦のために予算を使うのをやめる。
こんなことやってると予算消化主義になり無駄遣いが増え、組合費を安くできない。
組合活動費は領収書を提出し、実費のみの支給とする。
また、上記の新聞の印刷をやめれば、さらに予算が削減できる。
・憲法九条等には中立の立場をとるべき
労働組合に右も左も関係ない。
労働問題以外に政治的なスタンスをとれば、それに嫌悪感を持つ人がいるはず。
労働問題とはあまり関係ないことについて、特定の主張がされれば、
その主張を支持しない人は組合に入らない可能性が高くなる。
九条護持とかやりたい人は、労働組合以外で勝手にやってればいい。
にもかかわらず、組合は労働問題以外のことについても、いろいろ意見を言いたがるので、
これはやめるべき。
ただ、こうだったらいいかもと考えてるだけ。これを実現するために、私が行動を起こすつもりはない。
何もやらない。たぶん今後、以上の意見を公の場で表明することすらしないだろう。
今月号の『論座』の特集「現在の連帯」が良かった。それを少し参考にした。
■
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『悲望』所収「なんとなくリベラル」及び『神田川デイズ』に触発された個人的でとりとめのない殴り書きの随想
大学へ入ってからだろうか、政治的な場面を多々体験したのは。
卒業したのは、ほんの数年まえなので、結構最近である。
高校までは、政治的な(?)思い出といえば、小林よしのり『戦争論』をなぜか高校にもっていったくらいか。いや、それだけじゃなく、そういや、バーストもなぜかもっていったこともある。その中のサイコビリー特集の写真を友人が切り取って黒板に貼り付けたり、文化祭のカレーのメニューの欄に、日章旗や鍵十時を書いたりもした。両方とも教師から掲示をやめることをやんわりと求められ従った。これくらいか。
全国的にどうなのかはわからないが、私の出身大学は、時代(00年代前半)のわりに結構政治的な雰囲気が強かったのではないだろうか。私は、サークルには入っていない。3つくらいの音楽とか映画関係のサークルに入ろうとしたこともあったが、雰囲気になじめず、やめた、とういか入るのが無理だった。
サークルといえば、左翼サークル(ダミー?)とかも結構あったはずだ。
独特の変な字で書かれた看板は一年中立っていた。左翼的主張を書いた新聞もよく配られていた。たまに、政治サークルの人が、戦争反対とかいって、アジ演説らしきものをやっていた。
斉藤貴男や上野俊哉の講演会(?)をそれぞれ一回みた。特に、斉藤貴男はよく講演会をやっていた気がするが、開催していた団体が怪しげだった。上野俊哉の講演会は音楽流したりしてた。
酒井隆史があのころ夜間の学部で授業をもっていて、たまに授業にもぐった。ヒップホップ(確か、パブリックエネミー?)とかゴダールのブラックパンサー党がでてくるの(確かワンプラスワンだったような)とか、昔の歌−藤圭子とか岡林信康とか−、野田勉『ブラックマシンミュージック』を紹介したりして(ほかにもいろいろやってただろうが、もう忘れた)、結構熱心に話を聴いた記憶がある。
ECDもみた。そのとき、酒井隆史とか小田マサノリとか政治サークル所属らしき人が集まって会談みたいなことをやってた。それが終わったあと、写真をとってた人(公安?)と政治サークル所属っぽい人がなんかもめてた。そのとき、周りでみてるひとはあまりいなかった。私は、ずっと傍観していた。もめているのを見ているのが少し面白かった。その後、ECDがサックスを吹きながら、彼らは大学をデモ行進(?)した。ECDの存在自体そんなに知られていなかったころかもしれない。今もたいして知られてないかもしれないが。*1
数回、大杉重男の授業にもぐったりもした。大杉は柄谷行人の話をずっとやってて、『近代文学の起源』や『探求』のコピーやら柄谷と浅田とデリダの鼎談が載った『朝日ジャーナル』のコピーを配って、なんか話してた。履修者はあまりいなかった。
二年のとき、教養ゼミみたいなのを履修し、そのゼミでは岩波新書・岩波文庫*2ばっかり読んだ。そのゼミの教員は、岩波文化人だったんだろう。多分。「世界」にもたまに寄稿してたし、岩波新書も書いてたし。教授は私達の書いた文章にすべて目を通し、よく添削してくれた。「なんとなくリベラル」な人がいた。数年後、彼女がフェミニズムについて論文を書き表彰されていたのを、ネットで知った。人違いかも知れないが。卒業間際に、みんなで飲み会を開催する旨の連絡があったが、私は行かなかった。
ほかに、学部横断のゼミみたいなのも履修した。ここには「なんとなくリベラル」な人がたくさんいた。生ぬるいリベラルな発表がなんとなく続いて、単位にも関係ないし、授業に出るのをやめた。
三年になり、迷った末に国際ミクロ経済学的なことをやるゼミへ入ろうとし、応募した。標準的な経済学のゼミなのに、選考の書類でなぜか、丸山真男が福澤諭吉の『文明論の概略』(だっけ?)について書いた岩波新書について、無駄にあつく、勘違いして、語ってしまった。それが直接的な原因かどうかわからないが、選考に落ちた。その後、岩井克人『貨幣論』について一万字を書くことが課題とされたゼミへ応募し、選考に受かった。といっても、その選考に落ちた人はいないが。そのゼミでは、ウォーラステインや青木昌彦とかを読んだ。そのゼミで私は、ウォーラステインと森嶋=置塩=マルクスの定理の関係を、勝手に解釈して述べて、意味不明は発表をした記憶がある。
四年になり、各々の学生が卒論の発表をした。半分以上のゼミの学生の発表は「なんとなくリベラルな」―あるいはよかれ悪しかれ経済学からは程遠い内容だった気がする。当初の私も含め。私は途中から、そのころ読んだ、数冊の本の影響かもしれないが、(ミクロ)経済学をもとに、卒論を書くこととした。卒論の出来は、ちょっとは経済学の論文らしきものになったようなきがする。教科書・論文集などを簡単にサーベイしただけのものだが。文化左翼に批判的になった。いや、正確に言えば、批判はあまり公言しなかった記憶があるが、文化左翼が心情的に、結構嫌になってきた、あるいは、嫌になったというより、飽きてきた、といった方が正確かも知れない。経済学を専攻していたにもかかわらず、卒業間際になって、やっと経済学に取り組み始めた。かなり、中途半端な形ではあったが。だが当然、経済学に取り組んだからといって、就職できるわけではない。
あまり就職する気が起きなかったが、運良く何とか新卒で就職した。職場では組合*3に嫌々入った。今年は、出る人がいないからという理由で、組合の会議にたまに出ている。そこでは、左翼的(労働者的?)な声はよく聞こえるが、なんとなくリベラルな声はあまり聞こえない。
■
メモ 知識と生産性について
知識はいったん発見さえされれば、通常は、社会的に承継され、容易に利用できる。
たとえば、三平方の定理をピタゴラスがひとたび発見・証明され社会的に認められたあとのわれわれは、その証明が出来なくとも、それを利用し、三角形の一辺を求めることが出来る。*1
定理の発見・証明とその利用は別のことである。
ピタゴラス以降の人間は、三平方の定理の発見・証明のプロセスを得ずして、その時間を省略して、定理を利用できる。
このことで、時間が大きく節約できる。
定理を証明しようとすれば、時間が失われる。
ここで、極端に時間が希少だとすれば、定理を証明しようとすることと、それを利用することは、トレードオフとなる。
そして、定理の利用によって初めて目的が達成できるとすれば(三角形の一辺がわかることではじめて便益が得られる)、定理を証明することは時間の無駄である。
以上のことから、時間が希少なほど証明することの機会費用が大きくなる、といえる。
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- 作者: 野口旭,浜田宏一,若田部昌澄,中村宗悦,田中秀臣,浅田統一郎,松尾匡
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とりあえず、野口著・序章、浜田著・第六章、松尾著・第八章を読んだ。
野口による「専門知」VS「世間知」という見方に対して、松尾は「経済学的発想」VS「反経済学的発想」という見方を示している。(そもそも、この二つの見方は必ずしも対立するものではない気がするが。)
松尾は野口の見方をうまく一般化(?)して、野口らの説がより説得性を増しているように思えた。
また、第六章で浜田は小泉元首相に手紙まで書いていることが書かれていたが、結構親しかったのだろうか。一緒に食事に行ったとも書いてあったし。もっと小泉評を読みたかった。若田部や竹森も、小泉の後半の経済政策についてはある程度評価していたのをどっかで読んだ気がするが…
『マルクスのつかいみち』の続編でないかな…
実現するはずないが、以下、勝手な企画案
書名『(仮)マルクスの罠』
討論:「経済学的発想」VS「反経済学的発想」
討論者:稲葉振一郎・松尾匡・金子勝
金子はその名も『反経済学――市場主義的リベラリズムの限界』という本を書いている。
討論:マルクスの罠
新書で出したほうが売れる気が…