歴史は二度くり返される。一度目は悲劇として。二度目は喜劇として。

みたいなことをナポレオン(=悲劇)と、その甥であるルイ・ボナパルト(=喜劇)を指して、ヘーゲルがいったらしいが、岸が壮絶な安保反対運動のなか、安保成立と引き換えに職を辞した−安倍の言葉を借りればまさに職を賭した−悲劇を演じたとすれば、その孫である安倍は、イラク特措法延期を職を賭しても実現するといっておきながら、いったそばから延期さえできずに唐突な辞任、そして、在任中の周囲のドタバタ劇、これらはまさに喜劇と呼ぶにふさわしい。
安倍は岸の果たせぬ夢の実現を目標として、首相になったのかもしれないが、夢の実現以前に、岸の悲劇を喜劇として再演した結果になってしまった。岸の演じた悲劇に対しては、賛美のほか、憎しみも起こっただろうが、安倍の喜劇に対しては喜劇ゆえに、憎しみさえ起こらない。安倍に対しては、サムくて笑うに笑えない喜劇に対する反応があるのみである。すなわち、憎しみの代わりに嘲笑が、賛美の代わりに同情が。
サムい喜劇は悲劇以上に悲劇的かもしれない。